楢下宿 ならげじゅく

東北の参勤交代の主道となる一つに「羽州街道」があります。福島県の北方桑折で奥州街道と分かれ、宮城県の七ヶ宿を通り、上山・山形・新庄・久保田・弘前などの城下町を結んで青森県に達しています。この街道は参勤交代の道として、地元上山藩をはじめ久保田藩・庄内藩など当時十三の藩の大名や、多くの旅人(出羽三山詣での行者や商人など)が往来し、数多くの物資も行来したとか。「楢下宿」は、羽州街道を宮城側から入る際、七ヶ宿を経て金山峠を越えた、最初の本陣として大変良く栄えました。現存する建物は「滝沢屋」「武田家」「庄内屋」「大黒屋」「山田屋」の四つと「眼鏡橋」。地域全体としては平成9年9月に「史跡 羽州街道 楢下宿 金山越」として、国の史跡に指定されています。

所在地山形県上山市楢下
電話023-672-1111(上山市役所) 023-672-0839(上山市観光物産協会)
定休日無(滝沢屋のみ毎週水曜日及び年末年始は休館・開館時間/9時~4時45分)
料金無料(滝沢屋のみ有料/大人210円・学生160円・子供50円)
アクセスかみのやま温泉駅から山交バス「赤山行き」利用にて約20分
東北中央道かみのやまICから自家用車にて約30分
駐車場有・無料
URLhttps://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020026/mailmag/series/manpo/naragesyuku.html(山形県)

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■滝沢屋 脇本陣

丹野家は、江戸時代に庄屋を務めた由緒ある家柄で、屋号を「滝沢屋」と称し、銘酒「滝沢諸白」の造り酒屋でもありました。「脇本陣」、又は旅籠屋として、大名や上級武士の宿泊・休憩に利用され、館内にはその「宿札」も保管されています。最近の調査で、築250年を経過した建物であることが確認され、保存状態も良好。平成6年に下町から集落の一番奥にあたる現在地に移築。その貴重さから、同地の「庄内屋」とともに平成7年12月に山形県の有形文化財に指定されています。唯一の有料施設のためかスルーされがちですが、楢下宿の歴史や資料を閲覧し、前知識を入れるにも一番最初に訪れたい施設。ボランティアの方が大変丁寧に解説してくれます。時には唄や踊りまでご披露頂けるかも。

所在地山形県かみのやま市楢下字乗馬場1759ー1
電話023-674-3125
入館料大人210円・学生160円・小人50円 ※団体割引あり
開館時間9:00~16:45
休館日毎週水曜日と12月28日~1月3日

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■武田家

「滝沢屋」から北上すると新町に至り、その道路西側に位置するのが「武田家」です。1758(宝暦8)年の屋敷割絵図によると「旅籠屋」であることが明記、更に台所修繕の際「宝暦九う六月吉日」とほぞに墨書きがあることが発見されるなど、建造年次が明確なことでも貴重な遺構となっています。「座敷」と呼ばれる炉のある土座には筵が敷かれており、当時の生活ぶりを垣間見ることができます。

※小さな駐車場とトイレがある

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■庄内屋 脇本陣

「庄内屋」は新町から橋を渉った下町(本町)にあります。準本陣級の格式を持つ脇本陣で、庄内藩の常宿とされ、庄内候の煙草盆や拝領品などが今も残されています。また、その他の藩候の宿札も残っていることから、かなり広く利用されていたとみられます。炭素年代測定による調査では、「庄内屋」が18世紀中期に建てられた物であることが確認され、楢下に現存する家屋の中では最も古い時期のものになります。

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■大黒屋

下町にある「大黒屋」は、かつては当時の「滝沢屋」と隣接し、通りの東側に位置していましたが、現在は通りを挟んで向かいになる西側に移築されています。証文などにより、建築年代は1808(文化5)年とされ、間口10.1m、奥行17.5mの茅葺寄棟の形状もそのまま残る良好な家構。戸障子や台所諸道具、炉まわり、間仕切りなど各所に古い形がよく保存されており、「滝沢屋」と並んで、楢下宿の風景を象徴する建物にもなっています。

※大きな駐車場とトイレがある。ここに車を停めて楢下宿の散歩が便利。

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■山田屋

横町にある「山田屋」は、楢下宿の羽州街道沿いの覗橋の袂に位置します。1868(明治元)年に火災で焼失し、現在の建物は1885(明治8)年に建て替えられたものですが、覗橋と一体となった佇まいには、往時の楢下宿の雰囲気を感じ取ることができます。平成7年に上山市指定有形文化財に指定。木造二階建ての構造となっており、二階まで見学が可能。ここの二階からの眺めはおすすめです。また、1階奥の蔵がライブラリーとして開放されているなど、現在は交流施設としても活用されています。

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■眼鏡橋 新橋・覗橋

楢下宿の中央を流れる金山川には、石造りの眼鏡橋が二つ架けられています。当時では珍しい西洋式土木技術によるもので、石材には大門石と呼ばれる凝灰岩を使用。上流側の「新橋」は、1880(明治13)年8月竣工のアーチ式石橋。完成後には利用者から「橋銭」を徴収し建造費の返済にあてたとか。現在は河川公園の一つの風景として、記念写真のスポットにもなっています。下流側の「覗橋」は、新橋完成から2年後の1882(明治15)年竣工。新橋から覗橋に向かう金山川沿いの道の景色は、大樹の枝が川面に垂れて情趣を奏でます。そこからみる覗橋と山田屋の景色もまた良しです。

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■楢下宿 浄休寺(真言宗)

楢下宿入口の看板から、道なりに進むと突き当たるのが「浄休寺」。赤い屋根の鐘楼とイチョウの巨木が目を引く風景は、楢下宿街歩きのプロローグです。「浄休寺」は江戸時代中期の1753(宝暦3)年に建立。本堂は木造平屋建・外壁は白漆喰仕上・向拝には像と獅子・欄間には独特の龍が施されており、鐘楼とともに風雪を耐えた歴史を感じます。境内の大イチョウは高さ約30m、推定樹齢は約300年にもなるのだとか。

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